もはや暦上では小雪だが、今年の夏はとても暑かったことを覚えています。今夏はアトリエのエアコンがとうとう動かなくなってしまい新たに購入しました。夏といえば、昔は団扇(うちわ)がつき物。私のアトリエはいまでも団扇です。とはいっても、涼をとるためではなく、団扇を制作しているのですが……。
その団扇は、和菓紙団扇といって和菓子の木型を和紙で型取って骨に貼ってこしらえたもの。大きな跳ね鯛や海老、日の出松、鶴、亀、松竹梅のほかに、四季折々の花や果物などをモチーフとし、反立体の形状がぼっこり出っ張った飾り団扇なのです。
これは房州団扇といって、千葉県館山市を産地とし、京都、丸亀(香川)と並ぶ日本三大団扇の一つ。しかし、技術継承の衰退に歯止めがかからず、いまでは2、3軒を残すのみとなっています。こんな団扇は世界中探しても珍しく貴重な存在でなくなるともったいないものです。当然、型を取るための菓子木型はもったいないですが、この団扇の竹の骨ももったいない。
房州団扇は、土地特有の弾力のある丈夫な丸竹を細かくさいて広げて骨とする。これは京都や丸亀とはまったく違う骨なのです。最近は中国産の同じ形の骨が安く大量に出回っていて汚れもなく艶があり日本産よりもよく見えたりします。
でも、中国産はしなる強さがなく、制作段階で煮てしまうので一発で折れてしまいます。いつも骨を作っていただいている浦崎さんの作業場でこの光景を目の当たりにして以来、少々荒々しくしてもやはり日本産(本物)は違うと確信が持てました。
その浦崎さんに以前『日経デザイン』という雑誌の記事で私の和菓紙団扇のページを見てもらいました。それは見開きで左が団扇の写真、右にはエアコンの写真。この両者で現代日本のデザインの姿を表現したものでした。
浦崎さんの口から何十軒とあった団扇製造業者の衰退の歴史が語られました。衰退のきっかけは扇風機、そしてエアコンの普及でした。私は何か歴史がグルーッと一回りしたような錯覚を覚えました。
「現実的には間に合っている、なのにどうしようもないのか」
そんな独りごとを心の奥のほうで言っていました。今年、団扇職人がまた一人亡くなられたそうです。
ともあれ私は、今年もなんとか和菓紙団扇を制作することができました。そしてたくさんの人のご協力でさまざまな人に出会い、団扇たちが新しい歴史を刻んでいることと祈っています。皆様に感謝。