エコで地球を守ろうという意識が高まる中、
「もったいない」という言葉も“これぞエコ!”
とポジティヴなイメージを持たれるようになってきていますよね。
おばあちゃんの口癖の言葉が、世の中を救うような言葉になるなんて。
それをピックアップして世界に向けて発したワンガリ・マータイさんもすごいけれど、やっぱりおばあちゃんスピリット、おそるべし・・
まぁ、関心している場合でもないのが現状、「まだ使えるのに、捨てちゃうの?(もったいなーい)」ということは日常たくさんある。
もっとも「ある」ということに、ここ数年で、すごく気がつくようになったのだろうと思う。
小さい頃、気にもしていなかったゴミの分別、振り返るとゾッとするもの。
モノに対して“もったいない”と思うことは勿論あるのですが、
「もったいない」で、最近思うのは「自動」の二文字。
ちょっと大きな話になってしまうのですが、
世の中、ここまで”自動”である必要があるんだろうか?
そのエネルギーもったいないのでは?
というか、自分でやった方が早くない?
そんなに周りにやってもらわないと、自分たち、ダメ…?
という具合に思うのである。
発想の転換もエコの大きな一歩だけれど、
今あるものの見直しも大事な一歩。
毎日、外に出れば、自動のお世話になること多々。
自動ドア、自動水洗トイレ、自動蛇口、自動ハンドドライヤーなどなど。
トイレに「これは自動で流れます」と話しかけられる度にドキッとするし、
手を洗おうとして、なかなか出ない水に、アレ?と、どこにあるか定かでないセンサーに向かって、蛇口の下で手を左右に振るのも、なんだかなーと思うのだ。(最近は、デザイン豊富でいいのだけれど、わかりにくかったり、終わったのに水が出ていると、それ自体、もったいなくて、触っていたりして…本末転倒?)
コンビニのドアや、自動蛇口においては、そうでないところでも、
自動だと思って、ドアの前で立ってみたり、
蛇口の下に手をかざした時には「うわっ・・」と、すっかり自動に慣れてしまった自分にプチショック。
立てば開く、出せば出る、と思っているなんて、コワイッ!!何様ッ!と、ちょっと凹んでみたり…。
トイレに設置されている自動ハンドドライヤ—においては、手が必要以上に乾燥してしまうので、私はハンカチやタオルを使った方が好き・・など、
自動が気になる今日このごろ。
つまりは、自分でできることは、自分でやりたい、やった方がいいかも、
と思うことが最近よくある。
もちろん、必要なものもたくさんあるけれど、
そういうものだ、
と当たり前に受け身で捉えていたことを見直すと発見も多い。
どんどん、周りが動いてくれると思う“人(モノ)任せ”な態度・・街の自動が減ると、無意識に変わってくることが多いかも。
機械にナビされるより、自力で到達したい!なんて思うのは、ヘンだろうか?
そこに、生きる楽しみがたくさん詰まっているように思うのだけれど。。
その“楽しみ”が“楽”になることで奪われているとしたら、それこそ、もったいないと思う。
必要なのか、そうでもないのか、一回考える、
このエコの基本「気づき」を基本に、Mottainai Lab新米研究員として、アンテナ張っていきたいと思います。
どうぞ、よろしくお願いします。