福島に行ってきました。飯野、飯舘、南相馬、相馬。被災地、仮設住宅、避難区域、いろんな場所を案内していただきました。今となっては原発の問題の方が多く報道されていますが、改めて、地震、津波の規模の大きさに驚かされました。
瓦礫の撤去も進んできている南相馬では、海岸線から陸に向かって数km、本当に根こそぎすべて持っていかれたようです。何も残っていませんでした。 残ってるのは家の基礎だけ。あとはものすごい量の瓦礫の山でした。近くに行くと、ぬいぐるみ、電子ジャー、ランドセル、ジャージ... 無数の生活品も目に入ります。そのひとつひとつが震災前は大事に使われていたもの、それが今では重機によって泥にまみれてひとかたまりにされています。生活のすべてを剥ぎ取られてしまったようです。
飯舘村はご存知の通り、避難区域。もちろん誰も住んでいません。村にいた6000人が全員退避しています。8人だけはそのまま残って生活しているよ うですが。テレビの影響ですっかり放射能汚染のイメージになってしまいましたが、そんな言葉とは裏腹にすばらしい自然でした。藁葺き屋根の家、大自然がそ のまま残された景観です。こんな場所が目に見えない放射線によって、誰も住めなくなっているのが、どうしてもピンと来ません。
ここの村の人たちは、「までいライフ」ということばのもとに暮らしていました。「までい」という言葉はこの地方の方言で、「手間隙を惜しまず」「丁 寧に」「心をこめて」そんな意味。飯舘村は何年も前から、風土を再認識して人間本来の楽しい生活をしていこうという提案をしていました。そんな「までいラ イフ」の生活をしていた村民が、いきなり寝耳に水、退避させられ狭い仮設住宅での生活をしいられていました。仮設住宅に移られた方と話しましたが、憤りと 同時に何ともやるせない気持ちになりました。
避難されてる人達には何の罪もないわけで、ほんとうに申し訳なく思いますが、こんなことになってしまったのは人間のおごりからきたのかなとも思いま す。ぼくらは自然の中で「生かされてる」わけですが、もうそんなことを忘れてしまったのかな。自然の恩恵のもとに生活していたのが、あるのが当たり前にな り、やがてもっと欲しくなり、しまいには自分たちで制御できないような物を扱ってまで...
電車や飛行機に乗っていると時々こわくなる時があります。最速のスピードを追求するのもいいんですが、あまりにもいきすぎた開発になってしまってないのか な?本当にリニアモーターカーで、大阪まで1時間で行けちゃっていいんだろうか?1時間で行けるようになれば次は30分で行けるように開発が始まるでしょ う。「バベルの塔」を思い出します。
原発について論じなければいけないこともありますが、別の観点で「つつましさ」ということばについても考えたいです。自然の中で生かされてること、暮らさせてもらってること、謙虚にもう一度思い出してみたいもんです。
8月、9月は、福島でチャリティイベントもあり、行かれる方も多いかと思います。飯舘村は避難区域ですが、立ち入り禁止ではありません。もし時間あれば、 是非一度足を運んでいただきたい。こんな自然の美しいところで、ぼくら人間が何をしてしまったのか。その場を見て感じて、それからもう一度考えてみるのも いいのでは。
全く人のいなくなった飯舘村、生き物たちだけ置いてきぼり。ヘッドフォンで聞いてみてください。聞こえる音全てが命の音です。
こちらから聴いてみてください⇒♪♫